2007年2月15日 (木)

■初めての桂離宮

一介の酒司が桂別業についてあれこれ講釈するのは分不相応なのですが、些か気に懸る事もあるので試しに記述してみようと思います。
近年の「キョートブーム」なるものも相手伝ってか、此処の所桂離宮への参観者が著増しています。それ自体は喜ばしい事なのですが、「何故」わざわざ桂なのか一寸理解に苦しむ方々も居られます。往復葉書で申し込んでまで洛外まで御足労されなくとも、所謂「京都」を感受出来る史蹟は洛中に多々ありますし、桂以上の歴史を有する貴重な文化財もまた同様です。単に記念写真を撮りに行きたい方々には、参観日時や行動時間の拘束されない一般の名所旧跡をお勧め致します。

桂は鑑賞の仕方(解釈)が少々厄介な建築群.庭園で、ある程度の事前準備がないと「行った.見た.撮った」だけで終わっちゃいます。とは云っても別段庭園や古建築に対する特別な造詣が必要な訳ではありません(本当は必要なのですが…)。小学校の明日の授業の予習みたいなものです。以下、暇だったら読んでみて下さい。

準備1 あまり過剰な期待をしない
桂に関してはブルーノタウトやコルビュジュ、グロピウスを筆頭に(ついでに安藤忠雄も)、国内外の芸術家や建築関係者が日本文化の代表作として絶賛しています。故に権威主義に陥りがちです。(著名人が賞賛している→参観するも何だかよく解らない→自分は見識が無いのか→ソレハイケナイ→嗚呼矢張り桂は素晴しい=思い込み検証終了)
桂は意外と「好き嫌いが分かれる」林泉です。そのことは各々の感性に委ねて大丈夫だと思います。

準備2 大雑把な沿革の把握
これは語り始めると際限がないので極々簡単に(この点についての委細次項は「三度目の桂離宮(仮)」へ)。
桂離宮は江戸初期に造られた八条宮家の別荘です。従って「公家」の庭園であり、武家の大名庭園や臨済禅の方丈庭園とは様式が異なります。故に権勢の誇示を目的とした簡明且つ威圧的な作意(例.東照宮、二条城)や、禅宗的世界観を具現化、又は抽象化した作意(例.大仙院、竜安寺)は在りません。
桂の精神世界観の基底にあるものは源氏物語に代表される平安王朝文化への回帰とその再構築で、そこに各種様々な文化様式(浄土式.書院造.露地.西洋式手法等々)が重層的に折衷されています。

加えて複数の作庭者の意匠が幾重にも複合されている点も大きな特色です。造営着手から現在の規模に整えられるまでに約半世紀、親子二代に亘って数次の増改築が為され、その後も江戸中期や明治にかけても整備が繰り返されています。にも関わらず、意匠に統一性が保たれ、世界観は破綻を見せることなくと継承されています。
また罹災による焼亡や、造営者の意図しない改悪などを被る事無く、約三百余年後の今日に於いてもほぼ初期造営時の姿を留めている点でも極めて貴重な史蹟と云えるでしょう。

準備3 苑路内順路のスクーリング、及び各建築物(茶屋)性格の簡単な把握
桂は意図的に池泉の全貌が見渡せないように創られていますので、大体どういう順序で参観するのかは把握しておきましょう。同時に苑路内の建築物の位置(方位)も把握しておくと便利です(参観順路等は宮内庁HP等で簡単に調べられます)。
所要時間は約一時間強で賞花亭の辺りが中間地点、二度通る苑路は殆んど在りません。また予めタイムテーブルが決まっており、係員の誘導通りに見学するので自由行動は出来ません。(因みに書院内部と四腰掛、山上小屋跡、竹林亭跡は参観不可です)
あと、参観順に各建築物の最小限簡易な説明です。参考までにどうぞ。

  ・外腰掛 茶席の待合、松琴亭の付属的施設。  
  ・松琴亭 苑池中、最も格の高い御茶屋で庭園内の中心的役割を担う。  
  ・賞花亭 苑池内最も標高の高い所にあり、峠茶屋の性格を持つ。
  ・園林堂 宮家代々の位牌と仏像を安置する持仏堂。園内異色の禅宗建築。  
  ・笑意軒 田舎屋風の趣を持つ御茶屋、苑池中装飾性が最も強い。  
  ・書院群 雁行配列の高床式書院(居住施設)。三期に亘り築造され、古書院.中書                      院.新御殿からなる。  
  ・月波楼 書院群に隣接、楼閣建築の性格から観月施設の性質を持つ。

準備4 用意しない物
とりあえず最初はカメラの類は持っていかないことをお勧めします。「撮る」ことと「観る」ことの優先順位が逆転してしまい、また近景(軒打ちや雨落溝など桂の白眉とも云うべき所処)への視点が疎かになりがちです。時間の許す限り視感に拠って下さい。どうせ撮影場所がかなり限定されていますし、人だらけで良い写真など撮れる由もありませんから。

準備5 更に余裕のある場合
予め何か関連資料でも通読してから参観しよう、という方には下記の書籍がお勧めです。内容、入手共比較的簡易なものを挙げておきました。
 【日本の美術79 桂離宮 (森蘊編 至文堂.1972)】
桂離宮研究の第一人者による丁寧、簡潔な解説書。絶版本ですが古書店や古書検索サイト等で入手は容易。価格は1000円前後です。

それではいってらっしゃいませ。

※「桂離宮 再訪」に続く

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■桂離宮.再訪

何だか難しいことはよく解らないが、心惹かれまた桂の地へ赴きたくなった貴方や、もう少し桂を詳しく知りたくなった貴方へ。

類型.相反.関連庭園の事前処理
八条宮各親王後水尾上皇.小堀遠州等々、桂と所縁のある人物の史跡を観ることにより、桂への理解度を深めてみましょう。これらを巡られた後に再度桂を訪れられると、また新しい魅力が見つかるかもしれません…

-修学院離宮-
後水尾院作の日本最大にて最高の自然風景式庭園、桂と並び寛永宮廷文化一方の雄。造営時と比べ各茶屋の消失や畦道の植松等、多少の変遷はあるも修学院を修学院たらしめる上茶屋からの景観は不変。正しく雄大、圧巻、絶句。
院は修学院造営中に桂へ三度御幸されており、その創意から大いなる影響を受けられました。特に上茶屋の池泉構成からはそれが顕著に窺えます。舟遊式を機軸として池泉に点在している(た)茶屋や船着場、土橋の配し方等々、桂との通有性が発見されます。また、苑路の要所に備えられた石灯篭や中茶屋客殿の装飾、といった意匠面からも同様の発見がされるでしょう。
そして最大の共通点は現存する庭園.建築群において、致命的な被災.改悪を免れて制作者の意匠が色濃く余しており、尚且つ美しさと並立している点ではないでしょうか。 

但し山麓の傾斜地と川畔の平坦地という立地条件もありますが、両別業の持つ「奔放豪快」さと「繊細緻密」な性質の違いは、そのまま後水尾院と八条宮様の気質の差異かもしれません。延いては両離宮の差異ともとれ、修学院が「精神を悠揚にさせる」ものなの対し、桂は「神経を鋭敏にさせる」もの、と云えるでしょう。(因みに桂との苑地面積比8:1に対し、建物延べ面積比は1:2)

-曼殊院-
寛永文化の中心を司るサルーンとして文化人交流の場となった曼殊院。書院と庭園の完成は明暦年間初期頃で、造営者は八条宮の系譜を汲む良尚法親王。時期的に智忠親王による桂増改修とも前後し、恐らく桂造営に関わった宮家所縁の工匠も参画したと思われます。
故に同書院は「小さな桂離宮」とも称され、製作者の創意(欄間、違い棚、釘隠しや引き手など)が細部にまで行き届いている点では桂に最も類似していると云えるでしょう。特に趣向的に新御殿、笑意軒に類似する点が多く見受けられます。庭園についても宮家門跡らしい公雅さを醸し出しており、枯山水でありながら禅刹のそれとは全く違った高尚な趣があります。

但し寛永文化様式後期の造営ということもあり、表面的な意匠がやや先走りしている点は否めません。古今東西問わず文化様式の末期になると、意匠の内的精神性(創意)よりも外的装飾性(技巧)が強調されてしまうのはよくある傾向です。
それでも装飾が煩瑣になり過ぎず、水準以上の気品と美しさ保っていられるのは宮家直系の才と見識の為せる業でしょう。

-仙洞御所-
桂に多大な影響を与えた小堀遠州の作庭、寛永期の造営でその時期は桂や修学院と重なります。しかし度々改造が加えられ、現存する庭園に遠州の作意は殆んど痕跡を残していません。また御所建築物は幾度も焼亡、嘉永期の火災以後は再営されず現在は跡地を残すのみとなっています
と云う風に造営初期と現在では景趣にかなり隔たりがありますが、寛永宮廷文化の資質は充分に承継されています。寝殿造を基幹とした舟遊式庭園と池泉に点在している(た)茶屋。緩やかで上品な汀線、一升石を用いた護岸など雅やかな意匠、東山山麓を借に取り込んだ眺望…。御所様式の一典型として桂との類似点も色々と発見されます。

しかし桂との決定的な相違項として、創意の「無味無臭」性があります。前述したように幾度と無く繰り返された改造により、造営者の趣向は希薄化し、庭園の持つ内的生命力は失われてしまっています。従って桂と仙洞御所の一番の共通項は、具体的な意匠よりも苑内を支配する公雅な空気なのかもしれません。 

※因みに造営初期の地割りは、切石を要した護岸を直線に組み合せた矩形状の池泉を有し、当時としてはかなり斬新な設計でした。その後、後水尾院により徹底的に改良が加えられ、現存する曲線的な地割りは後水尾色が強いと思われます。西欧流の直線的な設計は修学院の意匠からも汲み取れますが、遠州のデザインが余りに奇抜すぎた為に院の趣向にそぐわなかったのかは定かではありません。江戸中期と明治期にも遂次改造が行われ、現在に至ります。


-二条城-
唯一書院の雁行形式のみが類似点、但し美しさは比べようもありませんが…。規模.装飾の点で宮廷文化と武家文化の相違が如実に現れているので、桂との比較対照の題材として観ておくのも宜しいでしょう。智忠親王は中書院.新御殿増築前に二条城に行啓されており、書院の雁行形式はここでヒントを得られたのかもしれません。
因みに本丸には明治期に京都御苑から移築した旧八条宮(桂宮)邸があります。最早「ぬけがら」状態にて何の生命力も感じ取れませんが参考までに記述しておきます。


-西芳寺-
夢窓疎石中興以降、日本庭園全ての範。しかし応仁の乱にて壊滅的な打撃を受け、慶長年間に漸く再興着手されるも旧観に復することは叶いませんでした。桂造営時には昔日の堂宇は全て焼亡、池泉は恐らく今日に近い惨況になっていたと思われます(尤もこの頃はまだ「苔」寺ではありませんでしたが)。
親交関係や立地条件から考えて、智仁.智忠親王も度々行啓されていたのは間違いなく、池泉地割りや松庵(現湘南亭)、それに「西芳寺池庭縁起」から色々参考にされる事もあったように思えます。文献から推察できる往時の西芳寺からは現在の桂に相通ずるものが見出せるのですが…。
しかし今となっては、現在の桂から曾ての西芳寺を推し測れる事の方が多いのかもしれません。(西芳寺についての詳細は「西芳寺叢書」参照)

※「もっと桂離宮」に続く

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