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2007年4月29日 (日)

◆アールデコ

アールヌーヴォーが下降線を辿るのと相反するように台頭し、ヨーロッパ、アメリカを風摩した美術様式。アール .デコラティフ(装飾美術)の略語で1925年様式、機能芸術とも言う。最盛期は「アールデコ博」と呼ばれた1925年の現在装飾美術産業美術国際博覧会を中心とした1920~1930年頃。

アールデコは、ややもすると華美、または過度に具象化した表現技法に走りすぎたアールヌーヴォーに反作用するが如く、対照的な美術様式を持つ。機械化文明を反映した幾何学的、直線的なデザインをもち、シンプルな装飾で作品を表現した。また、ガレに代表されるような作者の情感や精神世界を訴える装飾技法を排し、知的でガラスの透明感や明るい質感を生かした彫刻感が強いのも特徴である。アールデコ期においてもガラス工芸は建築、彫刻、家具、服飾、カトラリーなどと並び中心的存在で、美術乍品としての位置付けを認知され続けた。

アールデコのガラス工芸は、ルネ.ラリックを中心に展開される。アールヌーヴォー初期に宝飾作家として活躍したラリックはガラス工芸に転身、彫刻美術品とも言うべき作品を数多く創り上げた。また型吹きやプレス成型による量産体制を確立し、現在ガラス産業の先鞭を担う。更に香水瓶、置物、カーマスコット、室内外のモニュメントなど、ガラスの活用領域を新たな分野に広めた。近代ガラス工芸に与えた影響面では、様式の違いはあれどアールヌーヴォーのエミール.ガレと並び双壁である。
他方、アールヌーヴォーの拠点となったナンシーでは、ドーム兄弟の跡を継いだオーギュスト .ドームが次第に旧様式からアールデコに即した作品製作に転換、引き続き国際的に高い評価を得た。またドーム工房から独立したシュネデール兄弟はナンシーからパリ近郊に工場を構え活躍する。それに対しエミール.ガレを失ったガレ工房は、しばらくは事業的に成功を収めるが遂にガレ様式の作品から脱却出来ず、1931年に世界恐慌のあおりを受け、遂には工場閉鎖となってしまう。
ナンシー派以外では画家から転身、 1925年の博覧会で高評価を受け大成功を収めたモーリス.マリノ、同じく画家出身にてエナメル彩で才能を発揮したマルセル.グッピーと門下のオーギュスト.ハイリゲンシュタイン。また、個人作家としてロブマイヤーにデザインを提供し続けたヨーゼフ.ホフマン、アドルフ.ロース。バカラとデザイナー契約を結んだジョルジュ.シュバリエなどがいる。

アールデコ期の技巧的特徴としては、アール .ヌーヴォーから引き続いて高い人気を保ったパート.ド.ヴェールが揚げられる。この製法は複製生産にも向いており、鋳型を使ったもの、押し型法など様々な成型法が用いられた。また、機械によって作り出した圧縮空気による型吹き成型やサンド.ブラスト法といった新技法もさかんに行われた。カット技法も、時代に即した幾何学的でシンプルな面カットが主流となり、素材にも透明なガラスと並び、乳白色のオパルセント.ガラスが人気を博した。
しかしアールヌーヴォー期と違い、これら流行の中でも時代様式のみに埋没せず、各作家がそれぞれの技法的特徴を持っているのも時代の特徴である。例えば型吹き成型、型押し溶着、オパルセント .ガラスなどは主にラリックが使用した技法であり、アンテルカレールや酸化金属による着色はモーリス.マリノが愛用した。グラール技法はスゥエーデンのオレフェス杜によって完成、使用され、着色に黒色を用いるシュヴァルツロット技法はウィーンを中心にした技法で他地域では殆んど見られない。作家がそれぞれの個性を明確に打ち出した時代であった。
産業史の観点から見ても、この時代に近代的な生産方式を確立たことは大きな意義があった。アール .デコ期においては、大幅な機械化によるガラスの量産が容易となり、ガラス製品は確実に新しい階層、新しい分野へと拡がっていく。また、機械化量産用の工業的製品と、手造り一点製作による博覧会用などの芸術作品が、作家ごとに、あるいは同一作家の中で明確に区分されるようになる。

だが興盛が急激であるほどその反動も大きい。アールヌーヴォーにも共通するが、博覧会の最盛期がそのまま急速な凋落の始まりでもあり、僅か 10 年足らず、第二次大戦を前にその文化様式は姿を消してしまう。しかしアールヌーヴォーからアールデコと系譜する流れは戦後になって、デザイナーと職人側の明確な糞務分化と製作の協同体制、工芸品的な良質のガラスの大量生産と種類の多様化、個人デザイナーの活躍などによるガラス芸術分野の確立、といった形になって現在に引き継がれている。

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