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2007年2月21日 (水)

■五山派及び臨済七派④ 建仁寺

建仁寺(東山)  http://www.kenninji.jp/
臨済宗建仁寺派大本山 末寺数 70
・塔頭数 14 禅居庵 久昌院 両足院 霊洞院 興雲院 霊源院 
        西来院 大統院 堆雲院 大中院 清住院 常光院 
        護国院(開山堂) 正伝永源院
・山外塔頭  無し


歴史沿革
宋より帰朝した臨済宗の祖、栄西禅師によって 1202年(建仁2)に建立。土御門院の勅願、源頼家の開基として南宋の百丈山を摸して造営された。 鎌倉幕府の庇護下、京で最初の禅刹であり、延暦.仁和寺等と同じく格式の高い元号寺院である。(因みに黄竜派の流れを汲む臨済禅寺は日本では建仁寺派のみで、他の禅寺は黄檗宗を含め全て楊岐派である)

当初は旧仏教側の禅宗に対する反対、圧迫が強く、天台 .真言.禅の三宗建学の形で延暦寺末寺としての創建であった。創建後数度の火災に遭うが、東福寺開山円爾を十世に向え旧観に復する。また純然たる禅寺としては、宋より来日した蘭渓道隆(大覚禅師)が十一世住持として以降(1265年~)である。同時期に一時寺名を建寧寺と改めるが間も無く建仁寺名に戻す。室町期には足利幕府以外の庇護もあり、五山の三に列せられ寺盛は繁栄、最盛期には塔頭60余、荘園18ヶ所を有する大禅刹となる。また相国寺と共に禅林文芸興盛の中心を担った。

しかし、応仁の乱にて焼亡。更に 1552年(天文21)の火災にて七堂伽藍尽く類焼の憂目に遭う。法堂はこの際より再建されていない。天正年間以降(1573~)に東福寺住持安国寺恵瓊や有力武将などの援助により方丈や仏殿などが再建、復興する。現在の建物は殆んどがその後の再建である。


本坊庭園 (昭和)
加藤熊吉による昭和期の作庭。中国の百丈山から名をとり「大雄宛」という。築地塀添いに植樹と石組が見られるが、敷地の大部分が白砂敷で寝殿造南庭の趣もあり、儀式の場としての庭の要素が強い。しかし本坊方丈側からの眺めは遠景の法堂、近景の向唐門、左側の廻廊、築地塀と塀際の樹木といった白砂を囲むような配置構成が絶妙で、枯山水庭園としての趣も強い。


主要建築物
勅使門(鎌倉末.重文) 
平重盛の六波羅邸の移築と伝えられる。京内最古の総門で、矢の根痕があることから矢立門ともいう。銅版葺切妻。中央柱を棟木下迄延ばした禅宗式四脚門。
方丈(室町.重文) 
1599(慶長4)、安国寺恵瓊により曹洞宗の安芸安国寺より移築。造営は1487年。中世古建築としてだけではなく室町期曹洞宗の遺例としても貴重。室戸台風で被災後、復旧された。
三門(江戸)
大正期に浜松の安寧寺より移築。その為大禅寺では小規模、異例の三間二間二重門。
法堂(江戸) 1765年(明和2)造営。仏殿を兼ねる。一重裳腰付、入母屋、本瓦葺。

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