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2007年2月21日 (水)

■五山派及び臨済七派⑤ 東福寺

東福寺(恵日山)   http://www.tofukuji.jp/
臨済宗東福寺派大本山 末寺数 363
・塔頭数 25 万寿寺 退耕院 盛光院 霊源院 龍眠庵 海蔵院 勝林寺
        栗棘庵 善慧院 大機院 同聚院 霊雲院 一華院 天得院
        芬陀院 桂昌院 荘厳院 願成寺 正覚庵 光明院 永明院
        南明院 即宗院 龍吟庵 東光寺  
・山外塔頭 無し


歴史沿革
平安中期の延長年間 (923~31)、藤原忠平により同氏の氏寺として創建された法性寺を由来とする。その寺跡に摂政九条道家が開基として,法性寺を吸収する形で1236年(嘉禎2)より1255年(建長7)まで19年を費やして建立された。1243年(寛元元)には宋より帰朝したばかりの円爾弁円(聖一国師)を開山として招聘し禅刹とする。

当時栄華を誇っていた奈良の巨刹、東大、興福寺になぞらえて「東」「福」の字を取り寺号とし、天台 .真言.禅三宗兼学の寺院として26棟もの堂宇を備えた。しかし完成後約二十年の間に三度の火災によりその大部分を焼失し、1348年(貞和3)まで復興を要することになる。その間鎌倉から室町期にかけて純禅寺となり五山に列せられ、塔頭子院36を有する大禅刹となる。但し九条.二条家の氏寺であった為に足利幕府の保護は少なかった。また他の五山禅寺とは異なる点として、東福寺のみが開山以来の聖一派で住持を系譜し(他の五山派は十方住持制を採用)、東山湛照.虎関師錬.吉山明兆など多くの高僧を輩出した。

応仁の兵火にて堂宇の多くを失うが、中心伽藍は被災を免れる。戦乱が収まると豊臣秀吉や徳川家光の庇護にて復興に向かい寺観を整えた。その後近年に至るまで大きな被災も無く七堂伽藍の雄姿を誇っていたが、明治 14 年の火災により仏殿 . 法堂 . 方丈を焼失、これらはその後の再建による。しかし室町以前の古建築が多く残っており、伽藍配置もほぼ変化が無く、初期禅宗寺院の雰囲気が残された貴重な史蹟である。


本坊庭園
現代作庭の巨匠、重森三玲氏により昭和 10年代に作庭された。重森氏は庭園史研究家として鎌倉期以来の作庭法に通じ、他に龍吟庵.光明院(共に東福寺塔頭).瑞奉院(大徳寺塔頭).松尾大社など昭和の名庭を手掛けた。彼の作庭にノグチイサムが大きな影響を受けたことはあまりにも有名である。

本坊方丈四方に庭を廻らし、南庭は長細い地割りに豪快で斬新な石組、東庭は柱石を北斗七星に見立てて配する。西庭は刈込んだ皐月と砂地、北庭は苔と敷角石によりそれぞれ市松模様を表している。「八相の庭」と呼ばれるこの庭園は現代感覚のモダンさと伝統的枯山水が見事に融合され、特に距離感覚の表現手腕は絶妙である。


主要建築物
三門(室町.国宝) 
応永年間(1394~1428)足利義持の再建。禅宗寺院日本最古の三門。五間三戸二階二重門、入母屋、本瓦葺。組物の基本構成は大仏様、外観は唐様と、両方を併せ持つ珍しい建造方式で、建立時の姿が再建時にも踏襲されたものと思われる。
禅堂(室町.重文) 
1347年(貞和3)頃の再建と思われ、現存する僧堂の中で唯一の中世禅堂遺構。七間四間、一重裳階付切妻、本瓦葺。これも唐様と大仏様の両様式を持つ。
東司(室町.重文) 
室町期唯一の東司遺構。禅宗寺院便所の古形式として類例が無く非常に貴重。七間四間、一重切妻。内部の施設は失われている。
総門(鎌倉.重文) 
本瓦葺、四脚門の総門。北条氏の六波羅庁のものを移築したとされ、通常六波羅門と呼ばれる。
浴室(室町.重文) 
1459年(長禄3)再建、これも禅寺建築物の遺構として貴重。内部は蒸し風呂形式。
月下門(鎌倉.重文) 
円爾弁円の仮庵の普門院を移築したとされる。切妻造、檜皮葺の小柄な四脚門。
偃月橋(桃山.重文) 
1603年(慶長8)建造、秀吉の侍女孝公尼の寄進による。木造単層切妻、桟瓦葺。
開山堂(江戸.重文) 
1823年(文政6)再建。屋上に閣を持つ珍しい建築。

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