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2007年2月22日 (木)

■五山派及び臨済七派⑧ 妙心寺

妙心寺(正法山)
臨済宗妙心寺派大本山 末寺数約3400 
・山内塔頭37  雲祥院 海福院 金牛院 玉龍院 桂春院 衡梅院 光國院 
          雑華院 春光院 慈雲院 寿聖院 聖澤院 退蔵院 大心院 
          大雄院 大龍院 大法院 大通院 智勝院 長慶院 長興院 
          通玄院 天祥院 天授院 天球院 東林院 徳雲院 東海庵 
          如是院 蟠桃院 福寿院 養源院 養徳院 龍泉庵 隣華院 
          麟祥院 霊雲院 
・山外塔頭10  慧照院 龍華院 春浦院 龍安寺 西源院 大珠院 霊光院 
          多福院 仙寿院 金台寺


歴史沿革
元来、花園法皇の離宮であったが、同法皇の発願に由り1342年(康永元)に禅刹に改められた。大徳寺一世妙超の弟子、関山慧玄を開山に招聘し、当初は大徳寺に属する一子院としての創建であった。開基である花園法皇は同時に方丈後方に玉鳳院を建立、起居の場とし塔所とした。
しかし1359年(応永6)大内義弘の乱に際し、当寺が義弘の檀越であった為に足利義満により寺領没収、青蓮院に付与。その後南禅寺の付与となり一時中絶するに至る。暫くして南禅寺側の協力、細川家の援助もあり1432年(永享4)に大徳寺36世日峰宗舜を迎え中興。漸く再建へと向かうが、応仁の兵火により堂宇焼亡する。その後土御門天皇の論旨のもと細川勝元.政元親子や今川.武田.織田ら有力武将の援助により再興。
五山派の寺院が檀越の足利家没落により衰退していくのに対し、「林下」であった妙心寺は多くの戦国武将の帰依を受け寺勢を伸ばしていった。永正期には念願叶い、遂に大徳寺の末寺からの独立も果たす。その後も石田光成.福島.前田.池田など有力大名の帰依を受け、境内には多くの塔頭が建立され時運は隆盛する。最盛期には83もの塔頭を数え、そのうち武将の建立した塔頭は実38を数えた。

桃山から江戸初期にかけては七堂伽藍もほぼ整備され、現在に於いても近世禅宗寺院として最もよくその姿を残し、規模も最大を誇る。塔頭も今なおその数40余を有する。因みに今日の臨済宗で妙心寺派は総寺院数の約六割を占め、最大宗派である。


本坊庭園(江戸.国史跡・名勝)
作庭者、作庭時期共に詳細は不明であるが、大方丈、小方丈庭園共に本坊方丈の再建された直後の作庭と思われる。両庭それぞれ、各方丈の性格と相まってその姿は趣を異にしているが、いずれも平庭で南面に位置し、建物との調和が見事に取られている。
大方丈庭園は平庭一面が苔敷で寝殿造南庭の様式を汲み、公的儀式の為の色合いが強い。老松を二本相対して配しただけの、他に一切の木石を用いない簡潔な構成は静粛さも感じられる。その東側に位置する小方丈庭園は、やや狭めの平庭枯山水で、中央に野筋を立て三尊石と立石を組んだものである。こちらも簡素な形式で、飛石なども打たれ露地的な要素もあるが、小方丈の性格上居住の庭といった趣が強い。


主要建築物
三門(桃山.重文)
1599年(慶長4)建立。造営時期的から見ても、大徳寺三門と類似するところが多い。五間三戸二階二重門、入母屋、本瓦葺。純禅宗様の近世三門の代表例である。
仏殿(江戸.重文)
1827年(文政10)開山の三百年遠忌に際して建てられた。山内の主要伽藍では最も新しい。五間五間、入母屋、一重裳階付。典型的な禅宗様仏殿。
法堂(江戸.重文)
1657年(明暦10)造営。現存する最大規模の法堂で七間六間、入母屋、一重裳階付。仏殿より更にいっそう禅宗様式に沿った造りになっている。 
方丈(江戸.重文) 
大方丈は1654年(承応3)の改築、一重、入母屋、桧皮葺。本坊方丈らしく大規模だが、三室前後並列の簡潔な造りである。小方丈は本来、開山塔頭玉鳳院の方丈で1656年(明暦2)現在の大方丈東側に移築された。専属の庫裏を持つなど機能的な独立性が強く、内方丈的住居性格を色濃く持つ希少な遺構。
庫裏(江戸.重文) 1653年(承応2)上棟。一重、切妻妻入。巨刹の中でも特に大規模な庫裏である。
浴室(江戸.重文) 1656年(明暦2)の再建。江戸初期の建築様式をよく伝えている。
勅使門(桃山.重文) 桃山期の建築。切妻、桧皮葺四門脚。 雄大な蟇股が見られる。          

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