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2007年2月21日 (水)

■五山派及び臨済七派⑥ 万寿寺

万寿寺 (廃絶 現在.東福寺特別寺格塔頭)

歴史沿革
万寿寺発祥の事由は白河天皇皇女郁芳門院の御堂を浄土教の皇室寺院とした六条御堂を初めとする。その後 1261年(文応2)、同寺住持であった十地覚空.東山湛照が東福寺開山円爾弁円に帰依し、東山が開山となり三宗兼学の禅宗寺院に改めた。1273年(文永10)に火災に見舞われるも東山が禅宗様式の七堂伽藍を造営、14世紀初めには入宋僧南浦紹明が入寺し純禅様とした。室町期には足利幕府により十刹之六、次いで五山之五に列せられ寺運は興盛していった。しかし1434年(永享6)には市中大火により再び類焼、堂宇再建をするも応仁の乱で焼亡、衰退していき中絶に至る。

天正年間 (1573~92)に同じ開山の所縁により、東福寺北側の三聖寺内に移転復興する。寺名を併称する二寺並立の形となり近代に及んだが、明治期に三聖寺は廃寺となり万寿寺名が残ることとなった。
元来の万寿寺寺地は現在の下京区万寿寺通高倉付近であった。しかし旧寺領は失われ、現存する遺構は皆無の為に資料には乏しい。

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