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2007年2月15日 (木)

◆ガラス工房解説 1 【Baccarat】

Baccarat

1764年10月16日にパリから東に約400km、アルザス.ロレーヌ地方バカラ村に創立。時のフランス国王ルイ15世の勅許を受け、同地方の司教ルイ.ド.モンモランシー=ラヴァルによりサンタンヌ.ガラス社として創設された。但しその背景としては戦乱による経済の建て直し、失業者の救済、そしてボヘミアンガラスに対抗した自国産業の開設といった芳しくない諸事情があった。

この頃のガラス産業の時代背景としては 15~17世紀に興隆を極めたヴェネチアンガラスからヨーロッパ各地に拡がったファソン.ド.ヴェニス。それ以後北アルプスの二大ガラス生産地となるドイツ、ネーデルランド。18世紀前半からはより透明度と硬度の高いカリガラスに、緻密なエンヴレーヴィングやゴールドサンドウィッチといった高度な技術を駆使し一世を風したボヘミア。更には鉛クリスタルの発明によりガラス工芸に急激な進展を見せてきたイングランド。現在に想像されるガラス王国フランスの面影は微塵もなかった。
そんな状況下で当初は主にボヘミアの模倣品や鏡、窓ガラスなどの実用品を生産し順調に運営されていたが、フランス革命とナポレオンの没落により経営は急激に悪化し工場を閉鎖。 1816年、遂には売却を余儀なくされてしまう。売却価格は純金2845オンスで実業家エメ=ガブリエル.ダルティーグの手に渡るが、彼は以前にガラスエ場を経営しており、その後サン.ルイの重役を務め上げた若手の実力者であった。ダルティーグは社名をバカラ.ヴォネージュ工場とし、同年11月に工場最初の鉛クリスタル窯を稼動させる。パカラがクリスタルガラス工場へと姿を変える第一歩であった。

ダルティーグの手により会杜は再び順調に成長、フランスを代表するガラス工場となったが、 1823年に突然同僚の三人に工場を売却する。三名の共同経営者はピエール=アントワヌ.ゴダール=デマレを会長とし、杜名はバカラ.ヴォネージュガラス.クリスタル社となった。ゴダール=デマレは「最良の素材と、最高の職人の技術、これらの完壁性を将来に継承することが最も重要」と、品質重視、職人重視の気風を色濃く打ち出した。
1830年代からバカラは職人用の無料の住宅や学校を設立し、疾病、貯蓄、退職といった各種厚生基金を備える、といった当時としては考えられない最先端の福祉制度を充実させる。また工芸品としてガラスの芸術色も力をいれ、1923年出展したフランス産業製品博覧会で金賞を受賞する(1849年まで連続受賞)。1941年には現在にも続く初のグラスセット、銘品「アルクール」の販売。この時代以降、バカラは矢継ぎ早に新しいガラス工芸技術を取り入れ、名声を博していく。

32%の鉛含有率を誇る高品質のガラスを使用し、1846年よりぺ一パーウェイトの製作を開始、ミルフィオリと同時にサルファイドの技法を取り入れる。1855年には従来のエングレーヴィングに加えアシッド.エッチング技法を開発し、後に導入、大量生産を可能にした。1878年にはタイユ.グラヴィールにより、従来よりも深い彫刻をガラスに施す事が可能となる。同時に1855年にパリ万国博覧会で金賞受賞、1867.1878年の同博覧会では共に大賞を受賞するなどの栄誉を博し、名実共にヨーロッパを代表するガラスメーカーとなった。
また、フランス王室(1823年~)、ロシア皇帝(1896年~)を始めとし、トルコ、インド、日本といった世界各国の王室、皇室の特注品を手がけ「キングオブクリスタル」の名声を得る。それら以外にも、貴族のテーブルウェアといった実用品にまで、その高度な技術を注ぎ込み高品質なガラスを作り続けた。

三度に於ける万国博覧会での高評価で、国内外を問わず注文が殺到したバカラはその後の万国博覧会には出展せず会社としての設備充実と販売網の整備に当たる。この問ヨーロッパやアメリカではナンシー派を中心としたアール .ヌーヴォーが流行(1890~1910年頃)、新感覚の装飾美がデザインの主流を占めていく。ただ、バカラはジャポニズムの影響はたぶんに受けたものの、アール.ヌーヴォー自体にはさほどの影響は及ぼされなかった。一時期、カメオガラスなどの製作を試みるが短期間で中止し、あくまでクリスタルガラスの素材特性を生かした上で、青銅とガラスの組み合わせなど新しいスタイルを発展させていく。また、19世紀後半から20世紀初頭にかけ、香水瓶の受注が急増しその為に彫刻工房を増設、新たにバカラの一分野を形成するほどに至る。

バカラは 1916年からジョルジュ.シュバリェをデザイナーとして迎え入れる。アール.デコ期と重なって簡素なフォルムにカッティングの装飾美を引き立たせたモダンなデサインや、カトラリーの大手であったクリストフル社とのコラボレーションにより、ガラス製品と生活領域の統合を試みた。また「レイラ」「ローズ」シリーズなど、クリスタルガラスのラインナップを格段に充実させるなど、第二次大戦を挟んで彼の進んだ方向性は、現在のバカラ様式に密接に関連している。

現在、バカラはフランスの高級ハンドメイドグラスの 50%以上を生産している。更に販売量の半数以上が輸出用であり、世界中の王侯貴族、公大使により愛用されている。その理由は前述した「最良の素材と、最高の職人の技術、これらの完璧性を将来に継承することが最も重要」というゴダール=デマレの言葉に集約されているであろう。
素材であるが、通常クリスタルグラスの原料における酸化鉛の含有量は 24%程度であるが、バカラの場合は酸化鉛が30%以上含まれており、レッドクリスタルと呼ばれる屈折率の高いものである。バカラ独特の重量感と、指で弾いた際の高く澄んだ金属音はこの原料の比率と調合による。バカラを愛用する歴代王族が早世するのは、この鉛の含有量が高い為、何代にも渡り蓄積されるからである、という信密やかな噂が飛び交うほどである。
また、深く繊細なカットが施せるのも、鉛含有量由来のガラスの柔らかさと弛やかさによるものであるが、それを可能にできるのも職人の高度な技術があってこそである。MOF( フランス最優秀集職人、日本における人間国宝 ) の称号を受けた職人が常時40人以上製作に携わっているからこそ、常に高品質なものを作り続けられる所以であろう。

更にグラスのデザイナーも、ガラス専門の専属デザイナー以外に服飾、インテリア、芸術家といった他領域のゲストデザイナーを多岐に渡り招聘している。その面々はサルバトール.ダリ、セザール等といった錚々たる顔ぶれである。1999 年には日本画家の千住博が東洋人として初めてバカラのデザイナーに選出され、ダリ以来のアーテイスト・コレクション四作目を担う。

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