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2007年2月17日 (土)

■五山派及び臨済七派③ 相国寺

相国寺(万年山相国承天禅寺)  http://www.shokoku-ji.or.jp/
臨済宗相国寺派大本山  末寺数 93
・山内塔頭 12 大光明寺 林光院 玉龍院 普廣院 慈雲院 慈照院 
         豊光寺 長得院 養源院 光源院 瑞春軒 大通院
・山外塔頭 3  鹿苑寺 慈照寺 真如寺


歴史沿革
足利義満の開基に由り、1382(永徳2)に花の御所(室町第)の東、内裏の北側に造営された。寺名の起源は義満の鹿苑院相国の名に由来する。義満は1367年天龍寺にて仏門に受衣しており座禅道場として建立、既に遷化していた夢窓疎石(国師)を追請開山、師と仰ぐ春屋妙葩を二世住持とした。1392(明徳3)にはほぼ堂宇も完成、八月に落慶供養が行われる。実質約四年での完成という異例の速さであるが、法堂(等持院)や方丈(畠山邸)等、幾つかは建物を移築する形で行われた。最盛期には五山の一に準じられ、七堂伽藍全てを兼ね備える威容を誇り約144万坪の境域を有していた。
完成の一ヵ月後には南北朝の統一も成るが、1394年に火災で伽藍は全焼、その後も義持、義教の代で落雷、出火、再建、造営を繰り返す。義政の代で再び旧観に復するが応仁の乱、天文の乱の兵火で再度一山焼亡、灰塵と化した。

桃山時代になり、1584 年( 天正12)から入山した西笑承兌住持により寺院再興に向かい、秀吉 . 家康らの援助を取り付けて漸く寺盛が整い始める。しかしまた火災にて建物の多くを失う。
江戸初期には後水尾上皇の寄進、庇護により、方丈(旧御殿の移築)、三重の宝塔、開山堂などが建てられるも1788年の天明の大火で法堂を除く殆んどが焼失及び被害を被った。現在の堂宇の殆どは江戸期近世以降の建築、又は修復による物である。


本坊庭園 (昭和)
本坊方丈南庭は一面白砂を敷き詰めた簡素なものであるが、正面に向唐門と法堂を配し景観に奥行きと豪快さを与えている。また方丈の北側と小書院の間に挟まれるように裏方丈庭園がある。こちらは深い谷を掘り数々の樹木を植込み、市内中央にありながら深山幽谷の景観を醸し出している。


主要建築物
法堂(桃山.重文) 
1605年(慶長10)豊臣秀頼の寄進。仏殿焼失後はこれも兼ね、本堂と証する。七間六間、重層裳階付切妻。山内のみならず、禅宗法堂では最大最古の建築物として貴重。
方丈(江戸) 
1807(文化4)の再建。南庭奥側に1841年(天保12)の平唐門有り。
庫裏(江戸) 1807(文化4)の再建。切妻妻入。
浴室(桃山) 1596(慶長元)の再建。
鐘楼(江戸) 1843(天保14)の再建、袴腰付鐘楼。大型のものでは現在有数。
経蔵(江戸) 1859(安政6)落成のもの。

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